今日は近くの小学校で運動会。そして、敬老会というのがあって、その世話役になっているものだから、参加した。良い天気の中、日本の昔からの行事である運動会に、町内中が参加するという図式は極めて日本的であった。これは、学校の一行事というより、村の交流会という意味合いもある。
この風景を見ながら、日本的文化は、小学校の運動会という形で伝承されていることが良く分かった。そこには、人畜無害な、微笑ましい光景の連続だった。
ただ、残念なのは、そこに創造主への感謝というような、宇宙的縦軸の要素が一切ないということだ。戦時中なら、天皇陛下万歳であったのだろうが、今は、国旗の掲揚があるのみである。
いったい、いつになったら、日本人の公の意識に、神への感謝と畏れが生まれるのか。私は、今日の平和な風景を見ながら考えていた。
そこには、子を思う親の心は、十分に見て取れたが、それ以上のものはどこにもない。そこが、むなしさの根源的理由である。
日本人の勤勉さと、思いやりの深さは、確かに優れたものだが、もう一歩、いや、もう百歩前進して、神への礼拝という心を教えられなければ、この国の将来は危ういのだ。
そんなことを考えた、一日でした。


