先日ラジオを聴いていたら、ある人が、「わたしが心がけているのは、トイレの掃除です。トイレの掃除を完璧にすると、経済的にも豊かになるのです。」という趣旨のことを言っていた。
理由は、「人の嫌がる、汚いところの掃除に手を抜かないという人は、成功するからです。」ということである。これは、確かにそうである。
一軒の家を人に例えるなら、トイレが汚いということは、自分の心の暗部に、目を向けないということになる。
トイレの汚いレストランは、衛生面で必ず問題があるし、その経営者が「手抜き」であることの証明である。私も会社や、レストラン、そして教会でまず見るのは、トイレが綺麗であるかということである。そして、大体のところ、トイレの綺麗さと、その内容は合致しているものだ。
最近、私が学んでいることは、聖書が教える原則とは、西洋医学的な「対処療法」ではないということだ。つまり、どこかが痛い、ゆえに、痛みを抑える薬を処方するという、やり方は、一つの問題は治療するが、その人の根本的な「生き方」は直さない。だから、時間が経てばまた同じ問題が、違う場所に出てくる。
一方、東洋医学的なアプローチでは、どこかが痛い、ゆえに、体の根本的な体質を変化させる薬草を処方する。こんな感じである。こうするなら、時間はかかっても、その人の根本的な体質が変化して、病気に強くなる。
もちろん、骨折したりしたら、添え木を当てるという対処療法しかないわけで、ケースバイケースなのだが、体質そのものを変えてしまうという治療に勝るものはない。
聖書の言葉は、私たちの生きる力を根本的に変えてくれるものである。自殺願望まで持ってしまった欝的な人が、大胆に人生を切り開く人間に変わることもできるのだ。それは、クスリで何かを抑えるというものではなく、生きる力そのものが変化するということなのだ。
さて、トイレの話から、東洋医学になったが、結論は、自分の命に、暗部が残らないように、すべてを白日の下に出して、掃除をしてしまうということである。
その一歩は、お宅のトイレ掃除かもしれない。(ちなみに、私も二つあるトイレを掃除しました!!)


