ナショナルというのは、旧松下電器のブランド名であった。戦後の電気製品に、英語でナショナルというのは、日本という国の復興のイメージに最適であった。それは、日本人が勤勉に働いて、アメリカ風の英語で、ナショナル(国家)というものを再建するということだ。しかし、21世紀になって、そのナショナルも今はなく、パナソニックという、意味不明の造語となった。これは象徴的な事象であり、日本の時代は新しい展開を見せているのではないだろうか?
最近の小沢民主党党首に対するマスコミの一方的な糾弾報道を見ていて感じることだが、日本という国に、真のナショナリストがいるのかどうかである。小沢氏はナショナリストであるという評判だが、彼が総理になって、そのような国家運営をしようとするなら、今以上の、あらゆる方面からの妨害があるに違いない。なぜなら、日本が大人になって、ナショナリストになり、自立的な考え方をするなら、それは、既存権益と周辺外交関係に対する脅威となるからである。
日本の自民党政権は、一見保守党であるが、日本という国の経営の為に、アメリカへの追従を国是としてきた。アメリカがくしゃみをすると、日本が風邪を引くと、わたしの子供の頃はよく言われていたものだ。
その原因は、日本人の精神構造には、第二次世界大戦の原子爆弾による敗北ショックが今でも尾を引いていて、日本は絶対にアメリカにかなわないというトラウマが存在するからと言える。このトラウマのゆえに、政治、経済、教育の根幹が、対米追従というものになってしまったのだ。
しかし、宗主国がアメリカだったおかげで、日本は、戦後の自由を満喫し、言論の自由、科学の発展、個人資産の増加などを体験できた。もしも、ソ連が日本を支配したら、大変な悲劇を生み出したであろう。戦後の日本は、経済発展に伴う公害問題も解決させ、その住環境は、大変恵まれた自然の中で、非常に安定したものとなった。私が旅した、ネパール、フィリピン、インド、香港、タイ、台湾、中国、などと比較しても、日本は突出して住みやすい場所である。これは、身びいきではなく、客観的な観察によるものだ。だから、日本はアメリカに感謝すべきである。自由主義体制の下で、これだけ発展したのだから。
経済的に見るなら、日本にとってのあらゆる面での指導者はアメリカで、アメリカの市場の枠組みで商売をさせてもらってきた。それなりに、利益があるわけだから、市場使用料金も払う必要がある。それが、アメリカの国債である。このようにして、敗戦国日本は、世界二位の経済大国という「銀メダル」をもらってきたのだ。
しかし、今、アメリカが大変な苦境に陥っている。アメリカのバブルが弾けたのだ。アメリカはもはや、日本を面倒見るのではなく、日本に蓄積された富を、アメリカ主導のマーケットに還元しようとしている。これが、郵政民有化ではなかったのだろうか?
日本にとって、対米追従に対する反動は、自立国家の建設ということになるが、これは簡単なことではない。すでに日本の「国軍」である自衛隊が、アメリカ製の武器を使い、その軍事テクノロジーに支えられているのだから、アメリカ抜きで自国を防衛しようとするなら、あっという間に、軍事予算が数倍規模になる。そして、隣国からの脅威論が出て、独立が転じて孤立となってしまうし、中国などとの緊張が一気に高まる。
その緊張を超えて、中国と対等に手を結べるほどの政治家がいるなら、少しは希望があるが、今の日本の政治家にそれほどの胆力のある人物がいるとは思えない。
ということで、2009年の日本の置かれた状態は、二律背反である。
アメリカ追従をやめて、大きなプレッシャーの中で自立の道を歩むのか、それとも、沈み行くアメリカと運命を共にするのか?
このどちらにしても、真の解決はない。
このブログの賢明なる読者には、お分かりであろう。
日本が生き抜くには、万物を創り給う、唯一の神に回帰することである。
これしか、解決はない。
主、イエスキリストの十字架の犠牲を、個々人が知り、認め、受け入れ、悔い改めることに、この国家の再生の道が残されている。私たちが持つ、国家的ヴィジョンとは、イエスキリストにしかない。ありえないのである。これを、論理の飛躍と言うなかれ。なぜなら、人間の悲劇とは、そもそも、神から離脱しようともがくことにあるからだ。すべての個人が、全能の神との結ぶつきを回復するならば、そこに解決があるのだ。
日本が「キリスト教」の国になるのではなく、日本が「キリストの国」となるときに、真のナショナルが完成する。私が夢見るのは、その姿であるが、私の生涯でその進捗をどれだけ見られるだろうか?主の憐れみを期待するばかりである。