Saturday, May 16, 2009

日本はアジアの入り口

とうとう神戸で新型インフルエンザの伝染が始まったようだ。その感染経路が不明である以上、インフルエンザは、いつどこの県で広がってもおかしくはない。これだけ、人の動きが激しい現在、一つの場所に封じ込めるのはもはや不可能だろう。

現在のH1N1ウイルスの毒性は弱いとのことで、まだ危機的状況ではないが、政府の専門家はきっと最悪のシナリオも考えていることだろう。(さらに毒性が強まったウイルスが、日本中に蔓延するという事態。)おそらく、この冬の季節性インフルエンザが流行するときが問題だ。この新インフルエンザとのダブルパンチで、医療機関の現場は大混乱することだろう。学校閉鎖はもちろん、地域的閉鎖が連鎖的に行われると、経済活動もストップしてしまう。これは、日本だけの問題ではないのだが、今年の後半が、大混乱であることが、かなりの確立で予想できる。

これで、テロ(自作自演を含む)、金融危機、疫病という、三大危機が全世界を襲っていることになった。私は聖書を信じるクリスチャンとして、このような世界がいずれ現れることを学んできたのだが、いよいよそれを目の当たりにするようになったと感じている。

政治的には、日本もこれから夏から秋にかけて、新たな局面を迎えることだろう。その中で、民主党の政権交代が起きるのかもしれない。自民党は小沢氏秘書への国策捜査で、してやったりと思っていたところだったが、小沢氏の逆転わざで、これからは、民主党が有利に展開するかもしれない。

さて、これらのことを踏まえて、日本の位置を考えて見よう。

日本という国の地政学的意味は、アジアの東門にあたり、アジアでの歴史的、地域的入り口の役目がある。

おもえば、150年ほど前の、明治維新によって、アジアで最初に西欧の技術革命を移籍することに成功した国である。この点で、アメリカが黒船を日本に派遣したことは、その後の日本にとっての益であったのだ。

明治維新からアジアの近代化が始まったのだ。その後、第二次世界大戦において、日本がその近代化を軍事面で応用してしまったので、全アジアが戦場になった。しかし、その結果、アジア全体で、新しい国境が確定し、今や中国が新たな覇権国家への準備を進めるに至った。つまり、現在中国が近代化するに至ったのは、歴史の大きな流れの中で、アジアが、日本を入り口として近代化の時代に入ったことの、時代的帰結でもあるのだ。

このことから、日本がアジアに先駆けて変化すると、アジア全体が変革するというパターンが見てとれる。つまり、日本は、アジアの変革のための入り口なのだ。

これを、霊的に見てみよう。

日本は、今後のアジア全体の霊的刷新にとって、重要な国家であるということだ。

宗教的には、アジア各国の近代化の中で、それぞれの民俗宗教が生き残り、それが仏教などと習合している状態だ。例外的に韓国がキリスト教を受け入れ、土着化しているが、大多数は、未だに古い宗教形態を保っている。日本は今でも神道国家である。

一方、中国は無宗教の共産主義というものの、その実は、極めて資本主義的な社会主義政策をとっている。簡単に言えば、そのビジネスに国家転覆の危険性がなければ、どんどん儲けなさいというのが、現在の中国政府の姿勢なのだ。(中国人が未だに毛沢東語録を手にアジテーションをしている姿などどこにも見られない。)中国では、家の教会で、すでにリバイバルが始まっている。その実数は1億人とも言われる。もっとも、13億の人口がある中国である。

そして、私が信じる日本の霊的復興は、聖書が聖書として日本人に受け入れられるということである。そして、聖書が指し示すメシアが、イエス・キリストであることが、あるとき全国民的に認知されるというものだ。そんなことが、どのようにして起こるのかは分からないが、神はアルファ(始まり)でありオメガ(終わり)であるのだから、神にできないことなど一つもない。

そもそも、時代の中で、それぞれの国を創り、それぞれに賜物や使命を与えているのは、全宇宙の創り主なる神なのだ。だから、人々が唯一の神に立ち返るとき、その国は本当の力を出すことができる。

日本が、アジアの中でも小国であり、辺境(東の果て)にあるにも関わらず、神によって、大きく用いられるときが来ることを信じることができる。

今の日本のクリスチャンは、まったくもって「取るに足らない」ほど矮小に取り扱われているが、私たちは、来るべき、日本の霊的復興のための種であるのだ。

種は、一度死んだ状態からスタートする。

しかし、その種が、良い地にまかれ、水を得て、適切な温度が与えられるなら、芽を出し、やがて多くの実を結ぶことができる。

この使命ーー「一度死ぬこと」から、将来の命が生まれるのだ。

だから、私たちの使命は明確である。

それは、武士道と同じである。

主君のため(主イエスのため)に死ぬという生き方こそ、本当の日本版、クリスチャンの生きる道である。

Thursday, May 14, 2009

ああPRO TOOLS その2

今日、自宅のPCで、ようやくPRO TOOLSが完全復帰しました。一晩寝て、頭を休めてから取り組んだら、すんなり使うことができるようになりました。PRO TOOLSは手ごわいソフトですが、使い込めば、高音質のCD製作もできるようになります。ということで、乞うご期待。これからどんどん新曲を書いて、日本からの賛美の発信を目指します。

ということで、皆様のお祈りに支えられて、音楽制作が一歩前進しました。主イエスに感謝。感謝主。

Wednesday, May 13, 2009

ああPRO TOOLS

pro toolsという、非常に高性能な音楽作成ソフトを導入したのだが、最近、私のメインマシンで立ち上げられなくなった。サポートセンターに電話して、いろいろ教えてもらったのだが、どうにもならず、コンピューターのOSを再インストールすることになった。

VISTAになってはじめての再インストールであったが、まあ問題なく行えた。そして、pro toolsも無事にインストールできたのだが(ここまで二日間!)

そして、ここまでやったら疲労がたまって、創作意欲が消えてしまった。コンピューターの作業には論理的な頭を使うので、それで疲労する。そして、右脳のほうも働かなくなるのだ。これでは本末転倒である。

ああ、もっと簡単に、録音できるシステムで、作曲ができたらよいのに・・・と思う。

というよりも、pro toolsは、やはりエンジニアの人が専門にやってくれないと無理みたいですね。一人で、作曲から、アレンジ、録音までやるというのは、どうみても、無理があります。

こうして、また夜は更けてゆくのであった。

Monday, May 11, 2009

発見

この二月から、自宅を開放して教会を始めている。本当に家の教会で、看板も立てていない。

昨日の日曜日は、神奈川県からM姉妹が訪ねてくれた。私の家まで来るには、神奈川県、東京都、埼玉県、茨城県を通過して、栃木県の我が家に到着である。実に1都四県をまたぐという大技である。

そんな遠くから来てくださるので真に感謝であり、私たちも勇気付けられた。

神の臨在と御言葉を求めて、遠くから来て下さるのだ。その信仰に神も答えてくださるはずである。

ゆえに、昨日の礼拝は、御言葉を深く語ることができた。

説教者は、自分の力でメッセージをしているのではなく、会衆の信仰の深さによって、聖霊の働きが大きくなり、大胆に語ることができるのだ。

説教者は高慢になってはならない。自分の勉強や積み重ねで語るのではないのだ。

昨日は、さらにインターネットの電話、スカイプを通して香港にも中継した。昨今の技術革命はありがたいことである。

ということで、新しい発見の日曜でした。 

感謝主。

Sunday, May 10, 2009

私の写真庫から








All photos were taken by david kazama in Nikko.
(c) David Kazama

softbank sc708sc


携帯の話題である。

私の携帯は、SC708SCという韓国製のものだ。これは、820Pという機種を、ストーブの熱で溶かしてしまい、やむなく白ロムを購入したものだ。

で、この708SCはとても薄くて使いやすいのだが、バッテリーが全く持たない。会話が多いと、6時間ぐらいで、アウトになることもあるぐらいである。そこで、予備バッテリーを二個買い、それで何とか運用しているのである。

それがあまりに煩雑なので、乾電池で充電することにする。ところが、SCは特殊なコネクターなので、普通のソフトバンク用が使えないのだ。ややこしいことだ。

そこで、変換コネクターをつけることにした。これで、SCから普通のソフトバンクの充電器が使える。

携帯は、バッテリーの持ちが重要である。

自由と自制

自由を失わないこと。これが健全な教会生活の姿である。

教会の「組織」があなたの行動を規定するようになったら、それはカルト化という問題である。

主イエスが嫌うのは、人を支配する教えである。人が人を支配するとき、それは、共産主義国家のような悲劇をもたらすのである。

神を信じる生き方が、人に支配されるのはまったく矛盾することを知らなければならない。牧師や教会のリーダーが、何人も支配してはならないし、束縛してはならない。

しかしながら、人間の心には、被支配欲というのがあって、思考停止して、他者に規制されたいという考えがある。そのような人が、組織に支配されてしまい、自らを滅ぼすことになる。そこに、支配欲がある指導者が立つと、需要と供給のバランスにより、カルト集団が生まれる。これは、宗教だけではなく、急成長する会社などにも当てはめることができる。彼らの営業トレーニング方法は、限りなくカルト教団に近いものがある。これが、たとえば過労死を生み出すのである。

本来、過労死の前に、常識人であれば、体を休めるというステップが生まれるのだが、一種の脅迫観念で体を酷使し、限界までの極度のストレスにさらすことがある。人はどうしてそのような自殺行為行うのか?

それは、その人が思考上の自由を失っているからである。

教会であっても、奉仕しなければ、伝道しなければという意識が高ぶる場合がある。特に、熱心な教会がそのような状態になりやすい。新興宗教は、このパターンで教勢を拡大している。飴と鞭を使い分けた方法で、信徒を確保し、そして、信者たちは使い捨てになる。

私たちは、主イエスの愛に感動し、熱心さや情熱をもって生きるのだが、それは、神の与えた自由の範疇になければならない。

私の主イエスに対する信仰は、聖霊の炎にあって燃えたいと思うが、それが、私を滅ぼし、家族を滅ぼすものであってはならない。聖霊の実には自制というものもあるのだ。

私は、主イエスの福音を、すべての人に知って欲しいと願う。また、そのためにあらゆる努力をするつもりでいる。そして、その福音のメッセージはあなたに真の自由を与えるものである。次の御言葉を知りましょう。

Joh 8:31-32
(31) そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。
(32) そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」