Friday, November 13, 2009
わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ
私たちは日常の中に、生きている神の臨在を体験しなければならない。インターネットの中には、あからさまに聖書を否定したりする文書が多い。ある人は、聖書を「作り物」に過ぎないという。
しかし、歴史を経てもなお、決して滅ぼすことのできない書が聖書である。それは、これからも決して代わることのない真実だろう。今や各国の言語に訳され、人々の手元に届くようになった聖書。もちろんこの世界のすべての言語は網羅しているわけではないが、主要言語には訳されているから、教育が施された国であるなら、聖書を読むという機会は十分に存在する。
なぜ、聖書なのだろうか?
聖書を人為的な書物と考える、リベラルな神学者もいるわけだが、私は、これは完全に神に霊感されたものと考えている。聖書の成立、文書の保存、伝達、翻訳、出版、配布に至るまで、すべて神の御手が下っているのだ。ギリシア語が小アジアの言語であったときには、ギリシア語で、そして、現代のように英語が主体言語になったときには、英語で聖書は翻訳され、流通している。紛らわしい「誤訳」聖書もあるから、なるべく一般的な翻訳を手にするべきだが、(日本でいえば、文語訳、口語訳、共同訳、新共同訳、新改訳などである。ある特定の教団しか使わないという聖書は気をつけたほうがよい。)
さて、これほどコミュニケーションが簡易になり、個人レベルでの研究を、いとも簡単に公表できる時代こそ、あらゆる思潮に惑わされないために、基本軸が必要となる。それを、移ろい行く、人間の言葉にゆだねることは、リスクを伴うのだ。
聖書は、一生を通じて学ぶものであり、学校を卒業したから、免許皆伝というわけには行かない。私たちは、最後の息をするまで、この言葉で生きることになるのだ。
しかし、歴史を経てもなお、決して滅ぼすことのできない書が聖書である。それは、これからも決して代わることのない真実だろう。今や各国の言語に訳され、人々の手元に届くようになった聖書。もちろんこの世界のすべての言語は網羅しているわけではないが、主要言語には訳されているから、教育が施された国であるなら、聖書を読むという機会は十分に存在する。
なぜ、聖書なのだろうか?
聖書を人為的な書物と考える、リベラルな神学者もいるわけだが、私は、これは完全に神に霊感されたものと考えている。聖書の成立、文書の保存、伝達、翻訳、出版、配布に至るまで、すべて神の御手が下っているのだ。ギリシア語が小アジアの言語であったときには、ギリシア語で、そして、現代のように英語が主体言語になったときには、英語で聖書は翻訳され、流通している。紛らわしい「誤訳」聖書もあるから、なるべく一般的な翻訳を手にするべきだが、(日本でいえば、文語訳、口語訳、共同訳、新共同訳、新改訳などである。ある特定の教団しか使わないという聖書は気をつけたほうがよい。)
さて、これほどコミュニケーションが簡易になり、個人レベルでの研究を、いとも簡単に公表できる時代こそ、あらゆる思潮に惑わされないために、基本軸が必要となる。それを、移ろい行く、人間の言葉にゆだねることは、リスクを伴うのだ。
聖書は、一生を通じて学ぶものであり、学校を卒業したから、免許皆伝というわけには行かない。私たちは、最後の息をするまで、この言葉で生きることになるのだ。
草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はと. こしえに立つ。(イザヤ40:8)
来るべき冬の時代、じっくりと聖書を読んでみることをお勧めする。人生の岐路に立つなら、なおさらのことである。聖書はあなたに、かならず人生の回答を与えることだろう。
PCいろいろ
前述のノートPCは中古のもので、安く買えたのだが、ブラウザの調子が悪く、OSを再インストール。各種ドライバーも入れ替えて、調子がよくなった。WIN2000は10年も前のOSですが、まだ動きます。そろそろサポートもなくなりますが、使いやすいものです。
インターネットがつながり、オフィイスソフトが使え、HPなどが更新できるなら、文句はありません。ということで、私が持っている、過去10年間の古いソフトで現役マシンとなりました。
ちなみにHP更新は、ホームページビルダーの6.5で今でもOK.十分使えます。
画像管理はPICASA3、ブラウザはFIREFOX. FFFTPはファイルのアップロード用ですね。
そして、EDITMTUを使えば、ブロードバンドの速度もかなり向上します。スピードはUSENで計測。
電話はスカイプを使えば、海外の友人とも話せる。
波形編集はサウンドエンジン。
セキュリティはAVGとスパイポッド。
これだけあれば、一応仕事が進みます。皆さんすでにご存知のことでしょうが、一応備忘録としておきました。
インターネットがつながり、オフィイスソフトが使え、HPなどが更新できるなら、文句はありません。ということで、私が持っている、過去10年間の古いソフトで現役マシンとなりました。
ちなみにHP更新は、ホームページビルダーの6.5で今でもOK.十分使えます。
画像管理はPICASA3、ブラウザはFIREFOX. FFFTPはファイルのアップロード用ですね。
そして、EDITMTUを使えば、ブロードバンドの速度もかなり向上します。スピードはUSENで計測。
電話はスカイプを使えば、海外の友人とも話せる。
波形編集はサウンドエンジン。
セキュリティはAVGとスパイポッド。
これだけあれば、一応仕事が進みます。皆さんすでにご存知のことでしょうが、一応備忘録としておきました。
NEC VersaPro VY13M/EF-U
ちょっと備忘録です。
中古のノートを買いました。ハードディスクを入れ替え、OSをWIN2000にダウングレードしました。そこで、サウンドドライバーを見つけるのに苦労しましたが、ここにありました。
忘れないように、書き留めておきます。
中古のノートを買いました。ハードディスクを入れ替え、OSをWIN2000にダウングレードしました。そこで、サウンドドライバーを見つけるのに苦労しましたが、ここにありました。
忘れないように、書き留めておきます。
Tuesday, November 10, 2009
2012
今、巷では2012年終末説が、映画などの影響で語られている。もしそうならば、あと実質2年である!
さて、聖書では、昔からはっきりと終末が語られている。人間の神学者による解釈は、様々であり、聖書の黙示的文書を読み下すことは決して容易ではないから、諸説あるのはしょうがないところである。しかし、大切なことは、終末は必ず来るということであって、そのシークエンスの細部だけを見てはならない。
人間が、この肉体で生きるのは、どうみても120年が限界である。聖書もそのことは、はっきりと書いてある。どんなに医学が発展したとしても、寿命が数千年に伸びるわけではない。ということで、肉体の命の時間の中で、私たちは何を見いだすべきだろうか?
この世界が、悪い者の支配にあり、実際、陰謀渦巻く世界である。事実は小説よりも奇であろうし、決して表に出ない、闇の力、権力がこの世界にはある。「悪者さがし」は実は簡単である。この世には悪と不条理に満ちているのだから!
しかし、真の正義とか義、愛を見つけるのは難しい。それを、厳しい修行の果てに見つけようとするなら、人生の時間を使い果たしてしまうだろう。また、宗教にそれを求めても、結局人間の作り出した、複雑で難解な教理を学ぶだけで、人生の時間はなくなる。
だから、もっとも単純化した真理に私たちは立ち返るときに、人生の無駄な時間はなくなる。
それが、創造者である、唯一で真の父なる神に立ち返ることである。
私の子供が、私を父として認めてくれるなら、それは、もっとも自然で麗しく、また安全な思想である。しかし、子供が、私を父と認めず、自分のおもちゃ箱の王様を、「父」と呼ぶならば、それは倒錯である。
人間の罪とは、そのような倒錯のことである。
だから、人間を教祖とする、あらゆる思想と宗教は、偽者といわざるを得ない。しかし、神は私たち人間が認めなくとも、歴然と「人類の父」として君臨しているのである。
真の神には、人間の考え出した名前はつかない。だから、神は神なのだ。
終末のときは必ずやってくる。実際のところ、私たちは2012年を待たずとも、終末を理解できる時代に生きているのだ。
あらゆる指標、科学技術、混乱、問題が、今が終末であることを教えている。
ゆえに、真の神に立ち返ることが、何よりも必要で、全うなことであるのだ。
2012年は必ず来て、それを通り過ぎることになるだろうが、あなたは、本当の終末に準備が出来ているだろうか。
神と出会うために、人間としての「倒錯」から悔い改めているだろうか?
さて、聖書では、昔からはっきりと終末が語られている。人間の神学者による解釈は、様々であり、聖書の黙示的文書を読み下すことは決して容易ではないから、諸説あるのはしょうがないところである。しかし、大切なことは、終末は必ず来るということであって、そのシークエンスの細部だけを見てはならない。
人間が、この肉体で生きるのは、どうみても120年が限界である。聖書もそのことは、はっきりと書いてある。どんなに医学が発展したとしても、寿命が数千年に伸びるわけではない。ということで、肉体の命の時間の中で、私たちは何を見いだすべきだろうか?
この世界が、悪い者の支配にあり、実際、陰謀渦巻く世界である。事実は小説よりも奇であろうし、決して表に出ない、闇の力、権力がこの世界にはある。「悪者さがし」は実は簡単である。この世には悪と不条理に満ちているのだから!
しかし、真の正義とか義、愛を見つけるのは難しい。それを、厳しい修行の果てに見つけようとするなら、人生の時間を使い果たしてしまうだろう。また、宗教にそれを求めても、結局人間の作り出した、複雑で難解な教理を学ぶだけで、人生の時間はなくなる。
だから、もっとも単純化した真理に私たちは立ち返るときに、人生の無駄な時間はなくなる。
それが、創造者である、唯一で真の父なる神に立ち返ることである。
私の子供が、私を父として認めてくれるなら、それは、もっとも自然で麗しく、また安全な思想である。しかし、子供が、私を父と認めず、自分のおもちゃ箱の王様を、「父」と呼ぶならば、それは倒錯である。
人間の罪とは、そのような倒錯のことである。
だから、人間を教祖とする、あらゆる思想と宗教は、偽者といわざるを得ない。しかし、神は私たち人間が認めなくとも、歴然と「人類の父」として君臨しているのである。
真の神には、人間の考え出した名前はつかない。だから、神は神なのだ。
終末のときは必ずやってくる。実際のところ、私たちは2012年を待たずとも、終末を理解できる時代に生きているのだ。
あらゆる指標、科学技術、混乱、問題が、今が終末であることを教えている。
ゆえに、真の神に立ち返ることが、何よりも必要で、全うなことであるのだ。
2012年は必ず来て、それを通り過ぎることになるだろうが、あなたは、本当の終末に準備が出来ているだろうか。
神と出会うために、人間としての「倒錯」から悔い改めているだろうか?
Monday, November 09, 2009
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